がん、及び、適応障害になるまでの経緯①

今日、内々に異動が言い渡された。
正式には来週発令、8/1付けでの異動になる。
今まで固執してきた環境に、ついにおさらばです。
清々しい気分。

振り返ってみれば、
いろんな過程を経てきた。
私は20代後半で肺がんの手術をし、
30歳前後で適応障害を発症した。
文字通り、からだもこころもズタボロだったが、
いま、全体的に回復してきているように感じている。
倒れたり病気になったりする過程や、
そこから回復していく過程は、
人によって異なるだろうけれど、
一例として、記録しておく。

【肺がんの発見から手術まで】
発見: 2013年1月
発見の経緯: もうすぐ30になるし、福利厚生の人間ドック受けとくかー、と気楽に受けたら、CTで8~10mmほどのすりガラス状の影が見つかった。
精密検査: 2013年11月まで3,4回CT検査(一度、造影材含む)
セカンドオピニオン: 2013年10月か11月
治療方法: 外科手術(開腹+腹腔鏡)
手術までの経緯: 精密検査の結果、開腹手術をしないと悪性か良性か分からないと言われた。結婚し、子供を産む可能性もあるので、切り取り損になったとしても構わない、と腹をくくり、早い段階での手術を行うことを決断。
手術日: 2014年1月
切除量: 肺の2/18か3/18ほど
病理検査の結果: 肺腺がん(ステージⅠ)
入院期間: 1週間ほど
病気休暇: 1ヶ月
経過観察: 2017年まで半年または1年間隔でCT。100%再発の心配はないと言われる。医者が「100%」という言葉を使うことに驚く。2018年1月の検査は、外科医に相談の上、妊活中のため、パス。

【肺がんが見つかるまでの生活】
10代の頃から、たまに明け方まで本を読んだりしていた。
20代に入り、研究室配属になると、
いよいよ寝なくなり、
オールで遊んだり、
オールナイト上映の映画を池袋で見たり、
研究室に泊まって論文を書いたり、
朝までプログラミングしたりしていた。
周りが眠らないハードワーカーだらけだったし、
理工学部のキャンパスは不夜城と言われていたし、
寝ないのは普通でありネタであり、
何より楽しかったので、苦ではなかった。
ただ、月に一度ほど、倒れるように寝込むことはあったり、
姉には「そんなに寝ないでいたら早死にするよ」とか言われていた。
食生活は、学生までは実家だったので、
朝晩は母のつくる食事をしっかり食べ、
昼は大学のパン屋で適当に済ませていた。

社会人になってからも、
明け方まで論文を書いたりすることは、
何度かあった。
社会人になってからは独り暮らしになり、
朝は食べるにしても、
粗末で品数の少ない夕食を摂るようになった。

結婚してからは、
初めは家に仕事を持ち帰っていたのだが、
旦那が家では仕事をしないタイプで、
彼の安らいでいる横で仕事をしていると
なんだか申し訳ない気持ちになるので、
仕事を持ち込まなくなった。
それに伴いまともな時間に寝るようになった。

ちなみにタバコは自分では吸ったことがない。
学生時代ヘビースモーカーと付き合ってはいた。
ただ、若い女性の肺がん患者は、
タバコが原因ではないことが多いらしく、
ホルモンがどうのこうのという説が有力らしい。

【肺がんが見つかる前の体調】
2012年頃、胃炎になったり、
そんなに飲んでないのに吐くなどしており、
2013年頃の精密検査期間では、
インフルエンザになる、
急性じんましんになる、
虫刺されがずーっと治らない、などなど、
たぶん免疫力ががた落ちだったのだと思う。
社会人になってから、1年に1回は、
謎の嘔吐に苦しむことがあった。
謎の咳がなかなか治らないこともあった。

【気持ちの変化】

続きはまた今度。