適応障害になったときの身体の感じと克服の過程

2018/07/27fri 16:00

今日は、明日だと思い込んでた予定が、
今日だったことが昨日判明し、
ざっくざっく仕事をして(片付いてないけど)、
もう退社。
いいのいいの。人生は仕事だけじゃない。

目的地に辿り着くまで、

適応障害を発症するまでの過程と、
その過程での心や身体の症状

適応障害で休職した1年半での治療と、
その過程での心や身体の症状

復職後のこの1年半での治療と、
その過程での心や身体の変化

を書いてみようと思う。
漢方の心食動休環※っちゅー考え方に則って、
書いてみる。
※病気の原因は、心、食事、運動、休息、環境の何れかにある、という考え方。西洋医学でも、心理療法、食事療法、運動療法、睡眠療法があるし、割とMECEなんじゃないかと個人的には思う。


適応障害を発症するまでの過程と、
その過程での心や身体の症状

【2010年】
今の会社に入社。
心: かなり自信家だったと思う。いい感じに大学院修了して、希望の企業の、希望の部署で、指名した上司の元で働けることになって、僕はかなり天狗だったと思う。研修でもブイブイ言わせて、周りからの評価も高く、「あいつやってくれるんじゃないか」的な期待も感じ取ってて、調子乗ってた。プレゼンはもちろんZENスタイル。かなりウェーイ系だったと思う。よく「結婚遅そう」と言われていた。
食: 初めての独り暮らしだったけど、はじめの頃は研修で早く帰れたし、普通に朝晩作って食べてた。一応夜は、一汁一菜してたんちゃうか。朝も、パンと卵料理と野菜とか、割とまともに食べてた。
動: 19時とかに家に帰れてたから、たまに夕飯つくる前に走ってた。30分くらい。距離は測ってないけど、駅伝大会出たりリレーマラソン出たときは、キロ5分とかだった気がする。あと友人の影響でボルダリングとサーフィン始めたり、夏は近場でウェイクボードで遊んだりしてた。
休: 睡眠は雑だった。1時とか2時に寝ることもよくあったし、休日はオールで飲んだりしてた。土日も休むことなく活動的で、大抵予定が入っていて、1日にふたつ予定が入っていることもよくあった。
環: 憧れのチームでの仕事だったし、わくわくしていた。周りの人も「あの子面白いね」という扱いをしてくれていた。社会人になってからもプライベートの友達も増え、友人の輪も広がりを見せ続けていた。かなり年上の友達(おじさん)もいくつかのコミュニティでできた。研修は銀座だったし立地も最高だった。ただ、本拠地勤務なってからは山奥もいいとこなので、少し窮屈に感じてた。窮屈すぎて、定時後2時間かけて渋谷行って映画みてナンパされたりしてた。

元気だったなあ。

【2011年】
今の旦那と付き合い始める。
心: まだまだウェーイ系だったと思う。私のこと嫌いだった人も多いんじゃないかな。ただ、嫌なことを言う上司が現れはじめ、泣きながら親に電話したりしはじめた。「あなたのひとつ上の先輩は、今頃これできてたよ」とか「彼は週末あければシステムができあがってる(でも君はできていない)」とか言う系の奴。今思うとまじクソ上司なのだが、まだまだピュアだったのでまともに傷ついたりしていた。
食: 2010年とさほど変わらないのでは。
動: 走るのは続けてたと思う。サーフィンは3.11まではやっていたけど、それ以降は色々が怖くなって一度も行ってない。ボルダリングはちょこちょこ同期とか友人と行ってた。3.11以降、計画停電で、確か水木が休みになって、友人の会社の福利厚生のやっすいヨガ教室がちょうど水曜だか木曜で、混ざらせてもらってた。ヨガはそこで初めてまともに始めた。
休: 相変わらず睡眠は適当で夜更かしもオールも普通にしてた。家でごろごろはしなかったんじゃないか。テキーラでウェーイしてた。
環: 直属の上司は嫌味な奴でいけすかなかったけど、全社的な発表会では好評を得て、年末には論文投稿もしたし、ブイブイしてた。憧れてた上司が嫌なことをちょこちょこ言う奴だということに気づき始めたのがこの頃。あと、旦那と付き合ったことで、少し遊び方が大人しくなった。友人と遊ぶ機会も徐々に減り始めたかもしれない。

続く。