どうしても相手にイライラしてしまうときは

イライラの矛先を当の本人に向けてもいいことない。
いいことないって分かってるのに向けちゃったり、
向けちゃってる現場にこどもが居合わせたりしたり、
ほんといいことない。みんな不幸。

そんなときは、まず、とにかく具体的な誰かに相談してみる。即時。
電話がつながらなくても、
すぐにLINEの返事が来なくてもいい。
とにかくアクションを起こす。
そうすると何かの炎が弱まる気がする。

あとは、自分の中の「これはやっちゃいけない」を決めること。
わなわな解禁の腕が震えても死守すること。
これまだできてないんだけど。
イライラしても、数日するとケロッとするんだから、耐えればいい。
私の場合、「とにかく相手にぶつけない」かなあ。

あと予防線としては、
とにかくイライラを小出しにしておくこと!
余裕ないときほど。
「もはやママリに投稿する気力すらない…」という時も、
とにかく吐き出すこと。
こまめに吐き出せば楽なはず。

平穏に、暮らしたい、ただそれだけ。

捨てられない部屋の中にて。

何だろう、もうすっかり、私が私でないよう。

何だろう、もうすっかり、何もかもに見放され、何もかもに置いてけぼりにされているよう。

置いてけボレイ!置いてけ亡霊。

 

ものすごい片付かない家にずっと住んでいたんですわ。この家に引っ越してもう3年ちょっとになるんだけどな。育休の間にもちまちま断捨離してきたんだけど、この自粛期間に盛大に断捨離が進み、やっと空白が見えてきた。

 

そうその書類の多さよ書籍の多さよ。これら、どのようにしてくれた良いか分からぬままここまできてしまった。やや35年も生きてくると大切なものもガスガス増えていくもんよのぅ。大切なものは大切なまま保存しつつ、片一方の頭ではこれ大切だけどもう二度と読まないのではないか?なんて思ったりもして、汗垂らしながら逡巡している。

 

自分らしさって何だっけナァと思うとき、私はやっぱりどんな音楽を聴いてどんな本を読んでいたかなのであって、そしてどこに旅に出ていたかなのであって、音楽もそこまでハマらない、本を読む時間もままならない、読んだとしても仕事関連の本、旅は相方に気遣ったり自粛やったりでままならない、そんな風にしていたら、いよいよ本当に自分が何であるかが分からなくなってきてしまったのでした。

過去の清算できてないから前にも進めないのだろうかなんて、つまらないこと考えながらクーラーのない部屋で汗を垂らしています。

日記

コロナ自粛が始まってから週末出掛けることがなくなり、断捨離を始めた。

はじめの頃は大きめのモノをモリモリと捨てていて、最近は書類に手をつけていた。体調を崩す直前の日記、休職中の走り書き、一向に上がらない長年の給与明細など。それらを整理するのはかなり苦しい作業で、時々泣きながら、または時々呆けたように放心しながら、進めてきた。

書類に目処がついてきたので、今は書籍に手をつけている。これもまた、体調を崩す直前に上司から読めと言われた本、自分を鼓舞するために読んだ本、休職してから読んだ「繊細な心」に関する本などなど、息が止まる作業だ。

時々手を止めて読んでしまう。
先ほど読んだ本には、「不安は私を一生懸命守ってくれるお友達!」と書いてあった。

こういう書籍や、たくさんの薬、漢方、鍼灸、占いや霊媒師、カウンセラーなどなど、たくさんのものに支えられて復活してきたんだなーとあらためて思う。最近は子育てでそれらの「支え」を蔑ろにしてしまっていて、かつ、今職場がやや苦手な環境にあり、少し体調が崩れている。

「支え」を意識してないとすぐに不安になるだなんて。情けないな、と思いつつ、こういう社会人10年目、こういう35歳というのも愛おしい存在じゃん?と思い筆を執りました。夏ですね。暑い。

出世できないおじさんの独り言

苦手な季節がやってきた。組織改編。
新しい人たち。同期もいたりする。顔馴染みのある後輩たちも。
スケジューラー開くと役職が見えるんだよね。
みんなどんどん階級上がってる。
私だけ置いてきぼり。
私、そんなに仕事できないか…?
いくら適応障害で2015.5~2017.4まで休んで、
2019.3~2020.5まで育休で休んだからって、
こんな遅れるもんか?
まあでも制度的に、
2015年度、2016年度、2017年度、2019年度、2020年度が昇進のための総合評価に入らないのか…
中には育休中に昇進する人だっているのにね…
ふたりこども生んでてもとんとん拍子で昇進してる同期もいるのにな。。

35歳、おいてきぼり。
後輩にも追い抜かれて。

「昇進」のために成果出そうとすると、
仕事がつまんなくなっちゃうよ、って、
お世話になってる上司に言われたことがあって。
それもそうだな、って思って、
何度も何度も気にしないようにして、
目の前のことを一生懸命やって。
でもこういう機会にはやっぱり落ち込んじゃう。
あの子も上がれたんだ、
あの子でもあがれたんだ…って。
そういう考えすること自体ださいしかっこわるくて嫌なんだけど。
ひどいと、
ああ、あいつはまだこのポジションのままか…って、
どこか安心したり。
ほんといや。

いまある宝物に目を向けて、
過去得た宝物を武器にして、
今日もがんばろう。。

適応障害を克服するなかで出会ったメソッド

あれだわね、私、「よーし!これについてまとめて書くぞー!」と意気込んでも、書いてる途中に目的地に着いちゃったり書いてる途中で目が疲れると「また今度。」にしちゃって、結局その後も書くパワーが湧かなくて、そのままにしちゃって、ぜーんぜんシリーズ化できないや、アハハ。前はそーゆーのが気になって仕方なくて、ジリジリジリジリ簡潔させるタイプだったんだけど(そりゃ適応障害にもなりますわタイプ)、ここんとこまったくダメねー。

こーゆーふーに、
ゆるゆるやれるようになったのは、
退化・怠慢・怠惰なのではなく、
進化だと思っている。

さーて今日の気まぐれブログは?
前にも書いたか忘れたし確認するのも面倒だから思い付くまま書いちゃうけど、「回復に至るまでに出会った方法」の紹介です。

ここで。果たして回復したかといえば、きっともう大丈夫だと思う。今月なんて、心療内科をすっぽかした。最近心療内科行っても笑って医者と話してバイバーイ、みたいな感じだから完全油断してて。それと、異動してから、前のチームの人に、楽しそうだねって言われるし、実際楽しい。自分のホームに帰ってきたかんじがする。アイディア出せば誰かに響くしサーベイすれば誰かの役に立つ。これが月星座Keikoの言うホームなんだなーって感じ。

ではおもむろに方法群の紹介。名称とそれが本来指す方法はちょっとズレてるかもだけどそれは私が私なりにアレンジしたから。ドンマイ。

①ストレスコーピング
好きなことを列挙する。
可能なら場面ごとに用意。
【朝起きてすぐできる好きなこと】とか
【会社に行く途中できる好きなこと】とか
【夜、家でできる好きなこと】とか。
元気出ないなーってときに、リストを見返してどれかやってみてほっこりするとエンジン掛かったりする。やるパワーがなくてもリスト眺めるだけでもほっこりしてちょっとやる気が出たりする。

②アンガーマネージメント、その場を離れる
嫌なことがあったらとにかくその場を離れる。んで、それについて原因を考察したり検索したりしないでお笑いのYouTubeとか見る。嫌なことについてあれやこれや考えて得すること一個もない。それより好きなミルクティーでも入れて飲むとかした方がいい。ここ数ヶ月、旦那にブチ切れることもなくなった。

③ソルフェジオ周波数を聴く
貧血でくらくらしてるときとかイヤフォンして聴くと結構回復できる。詳しくはYouTubeで検索。

ゲシュタルトセラピー
お近くにゲシュタルトセラピーができるセラピストがいたら、是非トライしてみていただきたい。自分を傷つけず、本来の自分を取り戻せる方法のようにかんじる。実際、私は6月に個人セッションを受けてからメキメキやるべきことがクリアに見えてきて、それで異動も思い立ったし全体的に物事が好転してる。初めは旦那にだけブチ切れてしまう自分が怖くてネットで相談したら、ゲシュタルトセラピーを教わって、門を叩いて旦那のこと相談しはじめたんだけど別の課題に流れで取り組んで、得たのは主に仕事に関するあれやこれやだったんだけど、でもそれ以降一度も旦那と喧嘩してない。副次効果の多いパワフルなセラピーだと思います。

⑤普通の傾聴タイプのカウンセリング
これも役に立った。時間は掛かるけど。適応障害発覚直後は対面カウンセリング受けるパワーがなくて会社と提携してる電話カウンセリングで号泣してたんだけど、一年くらいしてパワーが出て行ってみたら、傾聴でスッキリしたのはもちろんいろんなツールを教えてもらったり復職のきっかけとなる行動に背中押してもらって、クスリだけじゃどーにもならんかった側面を治してもらった感じがする。実際私の場合は約1年2ヶ月ほどクスリと電話カウンセリングで過ごし、対面カウンセリング受けて4ヶ月後に「復職する決意」が出来た。

霊媒師、スピリチュアルカウンセラー
イイ人出会ったんだなこれが。これもゲシュタルト並みに手っ取り早くていい方法だったと思う。

⑦占い師
これもイイ人出会ったんだなこれが。時期とか振り返ってみてすごい合ってる。侮るなかれ中国四千年の歴史。

⑧誉め日記
やりすぎに注意。

未来日記
こうなりたいと思う未来を超具体的に書く。

⑩ハードルをすげー下げる
「起きれた!偉い!」とこうペンちゃん並みにハードルを下げる。もう今日はメール3通書いたら帰ろう、とか朝の通勤の段階でひそかに自分に宣言しとく(実際は3通書くとエンジンかかってもうちょいがんばれるという仕組み)。これを旦那巻き込んでやる。そのうち「ごはん食べ終わったの!すごいね!」とか旦那もやってくれるようになる。

⑪嬉しかったこと楽しみなこと日記をつける
「今日嬉しかったことは?」とか
「今日家に帰ったらやる楽しみなことは?」とか
「ここ一週間で楽しみなことは?」とか
質問のテンプレートをメールの下書きに保存しといて毎日回答する。

⑫月星座のKeiko
月の満ち欠けに応じておまじないみたいなことやる人なんだけど、人生にランダムネスが生じてイイと思ってる。あと月星座、私は結構当たってる。この人のアプリもオススメ。漫然と暮らすより、メリハリが出てよろしおす。あとこの人すごい人を煽るのが上手くて商売上手で、参考になる。

⑬七十二候を確認しながら暮らす
一年を72分割した日本の風土を表すナイスセンテンス群。おー、ツバメが来たわー、とか、蓮が咲くのかーとか、そろそろ涼しくなるのかー、とか、発見があったり備えたりできてよか。蓮なんて咲く季節知らんかったけど今年は7月中旬鎌倉八幡宮に蓮見に行ったりしてまじ風流。

⑭からだとこころの声を聴く
ちょっとでも辛いと思ったら早退する。休む。ごはん作るのを旦那に任せる。これらを罪悪感なくやる。そのうちそれらの頻度減るから大丈夫。

中医学を試す
漢方薬局に始まり鍼灸にもトライし、家でもお灸したりシールタイプの鍼にも手を出したり。まじで貧血なくなって、目に見えて血流良くなって(機械で測れるし顕微鏡で見れるんです)、適応障害再発しそうになったけど漢方で気滞を乗り越えた。


ふー。駅ついた。
また思い付いたら気まぐれに追記します。

適応障害になったときの身体の感じと克服の過程

2018/07/27fri 16:00

今日は、明日だと思い込んでた予定が、
今日だったことが昨日判明し、
ざっくざっく仕事をして(片付いてないけど)、
もう退社。
いいのいいの。人生は仕事だけじゃない。

目的地に辿り着くまで、

適応障害を発症するまでの過程と、
その過程での心や身体の症状

適応障害で休職した1年半での治療と、
その過程での心や身体の症状

復職後のこの1年半での治療と、
その過程での心や身体の変化

を書いてみようと思う。
漢方の心食動休環※っちゅー考え方に則って、
書いてみる。
※病気の原因は、心、食事、運動、休息、環境の何れかにある、という考え方。西洋医学でも、心理療法、食事療法、運動療法、睡眠療法があるし、割とMECEなんじゃないかと個人的には思う。


適応障害を発症するまでの過程と、
その過程での心や身体の症状

【2010年】
今の会社に入社。
心: かなり自信家だったと思う。いい感じに大学院修了して、希望の企業の、希望の部署で、指名した上司の元で働けることになって、僕はかなり天狗だったと思う。研修でもブイブイ言わせて、周りからの評価も高く、「あいつやってくれるんじゃないか」的な期待も感じ取ってて、調子乗ってた。プレゼンはもちろんZENスタイル。かなりウェーイ系だったと思う。よく「結婚遅そう」と言われていた。
食: 初めての独り暮らしだったけど、はじめの頃は研修で早く帰れたし、普通に朝晩作って食べてた。一応夜は、一汁一菜してたんちゃうか。朝も、パンと卵料理と野菜とか、割とまともに食べてた。
動: 19時とかに家に帰れてたから、たまに夕飯つくる前に走ってた。30分くらい。距離は測ってないけど、駅伝大会出たりリレーマラソン出たときは、キロ5分とかだった気がする。あと友人の影響でボルダリングとサーフィン始めたり、夏は近場でウェイクボードで遊んだりしてた。
休: 睡眠は雑だった。1時とか2時に寝ることもよくあったし、休日はオールで飲んだりしてた。土日も休むことなく活動的で、大抵予定が入っていて、1日にふたつ予定が入っていることもよくあった。
環: 憧れのチームでの仕事だったし、わくわくしていた。周りの人も「あの子面白いね」という扱いをしてくれていた。社会人になってからもプライベートの友達も増え、友人の輪も広がりを見せ続けていた。かなり年上の友達(おじさん)もいくつかのコミュニティでできた。研修は銀座だったし立地も最高だった。ただ、本拠地勤務なってからは山奥もいいとこなので、少し窮屈に感じてた。窮屈すぎて、定時後2時間かけて渋谷行って映画みてナンパされたりしてた。

元気だったなあ。

【2011年】
今の旦那と付き合い始める。
心: まだまだウェーイ系だったと思う。私のこと嫌いだった人も多いんじゃないかな。ただ、嫌なことを言う上司が現れはじめ、泣きながら親に電話したりしはじめた。「あなたのひとつ上の先輩は、今頃これできてたよ」とか「彼は週末あければシステムができあがってる(でも君はできていない)」とか言う系の奴。今思うとまじクソ上司なのだが、まだまだピュアだったのでまともに傷ついたりしていた。
食: 2010年とさほど変わらないのでは。
動: 走るのは続けてたと思う。サーフィンは3.11まではやっていたけど、それ以降は色々が怖くなって一度も行ってない。ボルダリングはちょこちょこ同期とか友人と行ってた。3.11以降、計画停電で、確か水木が休みになって、友人の会社の福利厚生のやっすいヨガ教室がちょうど水曜だか木曜で、混ざらせてもらってた。ヨガはそこで初めてまともに始めた。
休: 相変わらず睡眠は適当で夜更かしもオールも普通にしてた。家でごろごろはしなかったんじゃないか。テキーラでウェーイしてた。
環: 直属の上司は嫌味な奴でいけすかなかったけど、全社的な発表会では好評を得て、年末には論文投稿もしたし、ブイブイしてた。憧れてた上司が嫌なことをちょこちょこ言う奴だということに気づき始めたのがこの頃。あと、旦那と付き合ったことで、少し遊び方が大人しくなった。友人と遊ぶ機会も徐々に減り始めたかもしれない。

続く。

がん、及び、適応障害になるまでの経緯①

今日、内々に異動が言い渡された。
正式には来週発令、8/1付けでの異動になる。
今まで固執してきた環境に、ついにおさらばです。
清々しい気分。

振り返ってみれば、
いろんな過程を経てきた。
私は20代後半で肺がんの手術をし、
30歳前後で適応障害を発症した。
文字通り、からだもこころもズタボロだったが、
いま、全体的に回復してきているように感じている。
倒れたり病気になったりする過程や、
そこから回復していく過程は、
人によって異なるだろうけれど、
一例として、記録しておく。

【肺がんの発見から手術まで】
発見: 2013年1月
発見の経緯: もうすぐ30になるし、福利厚生の人間ドック受けとくかー、と気楽に受けたら、CTで8~10mmほどのすりガラス状の影が見つかった。
精密検査: 2013年11月まで3,4回CT検査(一度、造影材含む)
セカンドオピニオン: 2013年10月か11月
治療方法: 外科手術(開腹+腹腔鏡)
手術までの経緯: 精密検査の結果、開腹手術をしないと悪性か良性か分からないと言われた。結婚し、子供を産む可能性もあるので、切り取り損になったとしても構わない、と腹をくくり、早い段階での手術を行うことを決断。
手術日: 2014年1月
切除量: 肺の2/18か3/18ほど
病理検査の結果: 肺腺がん(ステージⅠ)
入院期間: 1週間ほど
病気休暇: 1ヶ月
経過観察: 2017年まで半年または1年間隔でCT。100%再発の心配はないと言われる。医者が「100%」という言葉を使うことに驚く。2018年1月の検査は、外科医に相談の上、妊活中のため、パス。

【肺がんが見つかるまでの生活】
10代の頃から、たまに明け方まで本を読んだりしていた。
20代に入り、研究室配属になると、
いよいよ寝なくなり、
オールで遊んだり、
オールナイト上映の映画を池袋で見たり、
研究室に泊まって論文を書いたり、
朝までプログラミングしたりしていた。
周りが眠らないハードワーカーだらけだったし、
理工学部のキャンパスは不夜城と言われていたし、
寝ないのは普通でありネタであり、
何より楽しかったので、苦ではなかった。
ただ、月に一度ほど、倒れるように寝込むことはあったり、
姉には「そんなに寝ないでいたら早死にするよ」とか言われていた。
食生活は、学生までは実家だったので、
朝晩は母のつくる食事をしっかり食べ、
昼は大学のパン屋で適当に済ませていた。

社会人になってからも、
明け方まで論文を書いたりすることは、
何度かあった。
社会人になってからは独り暮らしになり、
朝は食べるにしても、
粗末で品数の少ない夕食を摂るようになった。

結婚してからは、
初めは家に仕事を持ち帰っていたのだが、
旦那が家では仕事をしないタイプで、
彼の安らいでいる横で仕事をしていると
なんだか申し訳ない気持ちになるので、
仕事を持ち込まなくなった。
それに伴いまともな時間に寝るようになった。

ちなみにタバコは自分では吸ったことがない。
学生時代ヘビースモーカーと付き合ってはいた。
ただ、若い女性の肺がん患者は、
タバコが原因ではないことが多いらしく、
ホルモンがどうのこうのという説が有力らしい。

【肺がんが見つかる前の体調】
2012年頃、胃炎になったり、
そんなに飲んでないのに吐くなどしており、
2013年頃の精密検査期間では、
インフルエンザになる、
急性じんましんになる、
虫刺されがずーっと治らない、などなど、
たぶん免疫力ががた落ちだったのだと思う。
社会人になってから、1年に1回は、
謎の嘔吐に苦しむことがあった。
謎の咳がなかなか治らないこともあった。

【気持ちの変化】

続きはまた今度。