適応障害、休職、そして復職

僕は適応障害になった

僕は2年前に倒れた。30歳になってすぐのことだった。それまでにも兆候はあった。会議中に耳が痛くなったり、顔面が麻痺したような感覚になったり、舌が痺れてくるような感覚がしたり、いつも頭痛がしていた。また、仕事が山積みでアップアップしていたある日、22時頃退社する直前にメールを確認したところ、ひとつ、ぽん、と仕事の依頼のメールが来ていて、それを見た途端、激しい動悸と吐き気に襲われ、とてもではないけれど帰路にはつけないような状況になってしまった。慌てて休憩室に駆け込み必死に音楽を聴き、深呼吸をし、動悸をなだめようとしたが、貧血になりそうな感覚で、どうにもならない。しかし最終バスが迫っている。僕は涙目になりながら最終バスに乗り込んだ。そのバスには同僚も乗っていたが、助けを求めることはできなかった。

 

ある日、僕は会社に向かうバスの中で、こみ上げてくる涙を我慢できなくなった。会社に到着しても、オフィスに入るのが怖くて怖くて、僕はエレベーターのボタンを押せなかった。それから4日連続で休み、上司に産業医との面談を勧められたが、産業医は当てにならなかった。「いのちに別状がなければ出社してください」と言われたのだ。結局症状が悪化し、電車に乗ると酷く耳が痛むようになり、僕は電車に乗ることができなくなった。対面カウンセリングを受けたり電話カウンセリングを受けたりした結果、心療内科を勧められ、適応障害と診断された。仕事を休むことになった。

 

何度も転職について考えた

僕は結局1年半休職し、今年の春に同じ職場に戻ることになった。適応障害というのは、特定の原因があるうつ病のようなもので、原因から離れていれば比較的早く治るものとされている。僕の場合、薬物治療を開始して1年経っても、職場から郵便物が届いたり職場の情報を耳にするだけで蕁麻疹が出て、精神科医からなかなか復職のゴーサインが出なかった。僕自身、職場に戻れる自信と勇気が全く湧いて来なかった。

 

精神科医やカウンセラーは「決断は先延ばしにするように」と言い続けたが、僕は何度も転職を考えた。実際に転職サイトに登録して面談にも行ったし、気になる職種を色々とネットで見て回っていた。でも、どれもあまり前向きになれず、結局医師やカウンセラーの言う通り、今後どうするか決断せずにずるずると過ごしていた。

 

復職できるかもしれないと思ったきっかけ

あるとき、家の近所に、とても気になる会社があることを知った。まったく別の分野だったし職種も違ったが、とても興味があった。それは僕が高校時代に興味があった職種だった。僕の会社は副業は禁止されているので、その会社で給料を受け取ることなくアルバイト(というかボランティア)できないか、掛け合ってみることにした。結局3ヶ月程、その会社の社長にくっついて、色々な仕事をさせてもらえることになった。これがとてもラッキーだった。

 

僕はいわゆる大企業に勤めている。研究職なので職場にこもって実験をすることが多く、外部の人と接する機会はほとんどない。ボランティアをさせてもらったその会社はとても小さな会社で、人(しかもこども)と接する仕事だった。1年間ほとんど寝たきり・誰とも会わず、停滞していた僕の生活に、少し風が吹いた時期だった。社長の運転する車の中で、その仕事の大変さや面白さ、今後の事業展開について色々聞いた。仕事では身体をフルに動かし、声を張り上げた。

 

ある日ボランティアから帰った僕はふと、元居た職場を思い浮かべて、「ボランティア先に比べてなんて楽な仕事なんだ」と思った。大企業故に潤沢な研究資金があり、ある程度上を説得すればやりたい仕事を任せてもらえる。なんて楽な仕事なんだ。や、もう、すげー楽じゃん。神じゃん。そして、そんなふうに思えるということは、実は俺に向いてる仕事だったんじゃないか。

 

こう思えたら俄然、職場の人に会ってみたくなった。安心して会える人に声を掛けて、サシ飲みしたりした。やっぱり頭痛がしたし、トイレに立った時に身体をよく見ると、でっかい蕁麻疹が出たりしていたが、もう大丈夫なような気がしてきていた。

 

主治医にもこの話をし、ゴーサインが出て、僕は復職への一歩を踏み出した。