孤独感、疎外感を感じたときは。嫌な気持ちを反芻してしまうときは。
昨日参加した飲み会は、最高に、
孤独感と疎外感を感じた。
後輩が気を利かせて、
悩んでいる私を励まそうと、先輩を誘って飲みに連れ出してくれた。
メンバーは4人。
私以外全員ワーカホリック。
彼らの話の端々には、彼らの充実がキラキラと見え隠れして、痛かった。
一番刺さってしまったのが、
「〇〇君は、頑張れない人だから。」という話題。
その場にいない〇〇君という人物について、
「××さんは徹夜できる。でも〇〇君は"僕、そういうんじゃないんで"と徹夜しない。」
と言うのだ。
私も昔は徹夜を厭わなかった。
夢中になれば、平気で朝が来た。
しかし、私は、若い頃にがんになり、手術をし、
乗り越えたと思ったら、心の病に掛かり、
それ以来、「無理をしないこと」をモットーに働く事に決めた。
「心の病気を乗り越えて、新しい自分になるんですよ。」
と励ましてくれた。
「無理をしないこと」を決めた自分は、決して退化した自分ではない。
「新しい自分」なのだ、と。
でもやっぱり、ワーカホリックたちからすると、
もう、私も、「頑張れない人」なのだ。
その席にいたワーカホリック達は、
他のワーカホリック達も集めて、
日常的に仕事後22時からなど飲んだくれているようだった。
俺たち働きまくって終電まで飲んで楽しいぜ、が垣間見えて、
果てしない孤独と疎外感を感じた。
23時を過ぎてその場がお開きになって、
私は帰ることにしたけれど、
彼らは23時半ラストオーダーの別の店へゲラゲラ笑いながら消えて行った。
ハードに働くことにも、めちゃくちゃ飲むことにも、
もう同意できなくなった自分が寂しかった。
それで、家に着いてからも、朝起きてからも、
やっぱり孤独と疎外感を反芻しちゃってたんだけど、
ふと、「ま、とりあえず」を実践した。
これは、先週くらいに編み出した、「嫌な気持ち撃退方法」で、
とにかく、嫌な気持ち、落ち込んでいるとき、身体が動かない時に、
「○○しなくては」と思うのではなく、
「とりあえず○○しよう」と考える、という方法だ。
「とりあえず、起き上がろ」
起き上がれたら、
「私えらい。じゃ、次はとりあえずお風呂入ろ」
お風呂入れたら、
「私えらい。じゃ、とりあえず身体洗うか」
ってな具合で、超直近のやることを、
意識して、とりあえずやるという方法。
そうこうしているうちに、
嫌な気持ちを反芻するのを止められるんだな、不思議なことに。
そして、嫌な気持ちを反芻するのが止まると、
今度は自分の感じた孤独感や疎外感を冷静に見つめることができるようになって、
「確かに私はもうワーカホリックではない。」
「だけど、こんなにも愛してくれる家族がいる。」
「数は少ないけれど、励まし合いながら働ける同僚もいる。」
「それでいいじゃないか。」
と、自分のそばにある愛情に目を向ける余裕が出てくる。
自分のそばにある愛情を思い出すことができれば、
孤独感だって疎外感だって薄れてくる。
そうすると今度は、
「そもそも、ワーカホリックが正義だなんて、誰が決めた?」
「健康第一で暮らすことだって、同様に素晴らしいことだ。」
と、現状を認められるようになる。
昨夜受けた傷を、今朝のうちに癒せたのは、
私にとってすごい進歩。
【まとめ】
嫌な気持ちを反芻してしまうときは、
①まず、「とりあえず」
②続いて、嫌な気持ちになった捉え方を是正する
③傷ついた言葉は、本当に正しいと言える言葉か、確認する
という順番で進めることで、
現状や今の自分そのままを認められるようになる。