「とりあえず」の罠。本当に心底疲れてしまったときは。
今日のお話は、
- 身体が動かないとき
- 何度立ち上がっても打ちのめされて、もう疲労困憊、疲弊、疲れ果てたとき
- そんなときは、「今次の瞬間、幸せになっていい」
を、お送りします。
3連休でしたね。
私は先週もなかなかヘビーで、気の張る仕事が多かったのですが、
土曜も日曜も、家族サービス的な予定が入っていたので、
波は下の方に来ていたのですが、寝込めず、
今日、やっと(?)寝込みました。
今日は午前中ずっと、
「運がずっと悪い」とか
「何度も打ちのめされる 疲弊」とか、ぐぐってました。
このところ、身体が動きにくくても、「とりあえず」動く、を実践してて。
でもどうやら、これも、落とし穴があって。
「もう動けないよー」となってる自分を、
騙し騙し、起き上がらせてるようなもんなので、
やり過ぎると、よくないみたい。自分の場合。
例えて言うと、元気が残り10%あるんだったらやってもいいけど、
残り10%切ってるのに使うと危険、という感じ。
先週は、どんな辛い日も、
「とりあえず、駅までたどり着こう」
「とりあえず、次の停車駅までは電車に乗っていよう」
「とりあえず、メールを開こう」
「とりあえず、この書類を片付けよう」
ってな具合で、のろのろと、でも少し無理をして、やってたような感じなので、
昨日、日曜の夜、3連休の予定が2/3終わったところで、
本当に身体が悲鳴を上げて、横になってないと、どうかなってしまいそう、
という感覚になってしまった。
それで、今日の午前中まで、家族に甘えて、ごろごろしていたのだけど。
ふと、「いまこの次の瞬間から、幸せになっていい」っていう言葉思い出して。
会社に持って行くように買っておいたコーヒーを冷蔵庫から出して、
飲んで幸せになったりしているうちに、
あ。ブログでも書こうかな、って気持ちになった。
なので、覚え書き。
- 何度も何度も自分の思考回路を修正して、ふと、疲れちゃったとき
- 何度立ち上がって前を向いても、上手く行かないとき
- 何をしても空回りしてしまうとき
- 数年単位で、運が悪いと感じるとき
- 同じ条件でも、何故だか自分だけ上手く行かないと感じるとき
- もう立ち上がれない、疲弊している、疲労困憊しているとき
- もう、前を向くことも、疲れてしまったとき
そんなときは、
- 今、この次の瞬間、幸せになれることをしよう。
それはどんなに小さなことだっていい。
- 明日のために買っておいた美味しい飲み物を飲んでしまったっていい
- 毛布に包まれるのが幸せなら、まだ夜じゃなくてもお布団に入ったっていい
- ごはんを食べるよりも好きなネットをしていたいなら、食事の準備なんてしなくたっていい
それで少し幸せになれたら、ほんの少し、形に残ることをして、達成感を味わおう。
これもどんなに小さなことだっていい。
- ペットの世話
- ブログを書く
- 手の届く範囲を掃除する。枕に散らばった髪の毛とかね。
ふと、ワーカホリックの人たちの話を耳にしたり、
この人、同世代なのにしっかりしてんなー、とか、
年下が活躍している記事をネットで目にしてしまったりすると、
こんなふうに、
しょうもないレベルの幸せを噛み締めないと、自分を取り戻せなかったり、
しょうもない小さなことで、達成感感じようとしたりしてる自分が、
とてつもなく惨めになるけど。
なるけど。
でも、
それが生命線なのだったら、それでいいじゃないか、と思う。
キラキラした交流会とか、キラキラしたワークショップとかで、
たくさんの面白い人となんて出会わなくたって、
安心できる巣穴で、独りでネット開いて、
こうして好きなことを書いて、
安心材料を蓄えるのだっていいじゃないか。
まずは手の届く範囲で、活動をすればいいじゃないか。
心の病気になってしまったことで、できなくなったことは沢山ある。
でも、与えられたカードでも、小さな幸せなら、感じることができると思うんだ。
それは、昔思い描いたような幸せじゃないかもしれないけど。
幸せ感じながら、自分のペースで、歩んで行きましょう。